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東京地方裁判所 昭和54年(ワ)7582号 判決 1985年7月30日

原告

ダトウク・ジェームズ・ウオン・キム・ミン

右訴訟代理人

中元紘一郎

物部康雄

北沢正明

右訴訟復代理人

牛島信

被告

三井物産株式会社

右代表者

八尋俊邦

右訴訟代理人

佐藤庄一郎

右訴訟復代理人

石澤芳朗

佐藤順哉

鈴木哲太郎

主文

1  被告は原告に対し金六五六万四九三二円及びこれに対する昭和五一年九月八日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  原告の主位的請求及びその余の予備的請求をいずれも棄却する。

3  訴訟費用はこれを五〇分し、その一を被告、その余を原告の各負担とする。

4  この判決は原告勝訴部分に限り仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一請求の趣旨

1(主位的)

被告は原告に対し、金一〇〇〇万米ドル及びこれに対する昭和五四年八月二二日から支払ずみに至るまで年六分の割合による金員を支払え。

2(予備的)

被告は原告に対し、金二一億五〇〇〇万円及びこれに対する昭和五一年九月八日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

3 訴訟費用は被告の負担とする。

4 仮執行宣言

二請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一主位的請求

1  請求原因

ア 当事者

(1) 原告は、マレーシア国籍を有し諸邦に知己を有する実業家であり、かつ、サラワク及びマレーシアにおける有数の政治家であつて、昭和三八年から同四一年までの間、サラワクの副首相の地位を占め、さらに、第一八回国際連合総会にマレーシア国代表として出席した経験を有しており、マレーシア議会における野党の領袖である。

原告は、主として林業を営み、約三〇年にわたつて東南アジアの各地において直接あるいは間接に林業に従事してきており同地域において林業に従事する者の間では、著名である。具体的には、原告は、昭和四三年以来インドネシアにおいて自ら又は種々の会社を通じて林業に携わってきた。原告は、様々な投資及び営業活動を行つているが、中でもブルネイの持株会社三社の全株式を所有し、これら三社を通じてインドネシアの三つの会社の株式のいずれも過半数を所有しており、これらのインドネシアの三社は、インドネシア政府から木材採取権を譲与されている。

(2) 被告は、「三井物産」または単に「ミツイ」として世界的に著名な所謂総合商社であつて、その事業の一環として、外国の会社等からの木材の買取りは勿論、これら会社等と合併事業を営むことをその目的の一つとしている。

イ 原被告間の契約締結

(1) 原告は、いずれもブルネイ法人であるリンバン・ティンバー・カンパニー(インド)・リミテッド(以下「インド」という。)の株式五万〇〇九七株、リンバン・ティンバー・カンパニー(J・K)・リミテッド(以下「JK」という。)の株式二六〇一株及びビンセント・ティンバー・カンパニー(カリマンタン)・リミテッド(以下「カリマンタン」という。)の株式六〇〇一株をそれぞれ所有していた(インド、JK、及びカリマンタンのその余の各株式もまた原告の支配下にあつた。以下右三社を「ブルネイ法人」という。)。インドは、インドネシア政府から一五万ヘクタールに及ぶ土地における木材採取権を譲与されているインドネシア法人P・T・リンバング・ガネカ(以下「ガネカ」という。)の総株数の八割を所有していた。JKは、インドネシア政府から六万ヘクタールに及ぶ土地における木材採取権を譲与されているインドネシア法人、P・T・リンバング・ブラジヤ(以下「ブラジヤ」という。)の総株数の八割を所有していた。カリマンタンは、インドネシア政府から二五万ヘクタールに及ぶ土地における木材採取権を譲与されているインドネシア法人、P・T・ダヤク・ベサー・ビンセント・ティンバー・カンパニー(以下「DBVT」という。以下右インドネシア法人三社を「インドネシア法人」という。)の総株数の五三パーセントを所有していた。

(2) 被告は、昭和四八年及び同四九年初め頃被告の木材部門の安定供給確保のため、インドネシアの木材採取権を取得し、インドネシアにおいて林業にたずさわることを考えていた。

(3) そこで、昭和四八年八月ごろ、原被告は、ガネカ、ブラジヤ及びDBVTが有する木材採取権の一部を被告に間接的に所有させ、当該木材採取権の与えられた地域における林業の共同開発を目指して交渉を開始した。その結果、共同事業の最初の段階として、被告は原告に対し、被告木材部長河野圭一郎名義の昭和四九年一月二九日付書簡(甲第一号証)にて、インド、JK及びカリマンタンの株式のうち、それぞれ二万五〇五〇株、一三〇二株及び三〇〇二株(以上まとめて以下「本件株式」という。)を、代金合計金四〇〇万米ドル、代金支払期日同年四月三〇日との約定にて買受けたい旨の申込の意思表示をなし、これに対し被告は、同年二月六日付書簡(甲第二号証)にて、右申込を承諾する旨の意思表示をなし、ここにおいて、本件株式について原被告間で売買契約(以下「本件契約」という。)が締結されるに至つた。本件契約の目的は、被告に対して三つの木材採取権につき間接的に支配権を与えることであり、原告個人に対してその各事業活動に必要な資金を供給することであつた。さらに、インド、JK及びカリマンタンの株式に対し、原告及び被告がそれぞれ対等な所有権を有することは、インドネシアにおいて、各会社を通じて間接に所有する木材採取権を相互に開発し、また共同して林業に着手する基盤になるものであつた。また、右各株式を所有することは、三井にとつて、ガネカ、ブラジヤ及びDBVTの三つのインドネシアの会社に資本参加し、インドネシアで林業を営むための前提条件であつた。

その後原告は、同年二月二一日から二七日にかけて、被告社員安井敬一、渡来順輔及び滝沢勝とシンガポールにおいて会議を開き、本件契約締結の目的であるインドネシア木材採取権の共同開発に関する協定(以下「本件協定」という。)を右被告社員らとの間で口頭で締結し、文書(甲第三号証)によりこれを確認した。

ウ 被告の債務不履行

(1) 原告は、被告の善意を信頼し、取引銀行、インドネシア政府の林業省並びにガネカ、ブラジヤ及びDBVTの原告以外の株主に対し、本件協定を口頭で通知した。

(2) ところが、被告は、支払期限である昭和四九年四月三〇日までに売買代金四〇〇万米ドルを支払わず、その理由として資金繰りが困難になつた旨主張してきた。これに対し、原告は、同年七月一二日付の二通の書簡による被告の懇請を容れ、前記支払いにつき、同年九月一五日及び同年一二月末日の二回分割払いの方法により各金二〇〇万米ドルを支払うこととして、その支払期限を延長した。しかし、被告は、昭和四九年九月一五日迄に第一回分の分割金である金二〇〇万米ドルを支払わなかつた。被告は、口頭、書面及びあらゆる行為によつて、売買代金を支払うとともに、木材採取権についての共同開発を行う旨繰り返し確認したにもかかわらず、売買代金の提供をしなかつた。一方、原告は、いつでもその義務を履行するつもりでおり、また履行可能な状態であつた。遂には、被告は、昭和五一年九月ころ、本件契約及び本件協定の存在をすら否定するに至つた。

(3) 原告は、昭和五二年九月その代理人を通じて、被告代理人に対し、同年九月一五日を期限として売買代金の支払いを催告し、期限内に支払いなきときは被告の契約不履行を理由として同日付をもつて本件契約を解除する旨通知した。しかるに、被告は同年九月一五日までに、原告に対し、売買代金の支払いをなさず、従つて、本件契約及びこれに伴う本件協定は解除された。

エ 損害

以上のとおり、被告は、本件契約、及び本件協定に違反し、またそれらを一方的に無視したのであり、これにより、被告との長期共同事業を計画していた原告は、莫大な損害を被つた。その内訳は左記のとおりである。

(以下の円表示については、特に明記する場合の他、昭和五一年九月八日頃の交換率である。一米ドルが二八八・八〇円、一シンガポール・ドルが一一七・七七円、一ルピアが〇・三五円によつた。)

(1) ブルネイ会社の株式の五〇パーセントの売却損

金二〇四万九四二八・三九米ドル(金五億九一八七万四九一九円。)

右は、被告が、本件契約により原告に対して負つている金四〇〇万米ドル(金一一億五五二〇万円)の株式購入代金支払い債務を履行しなかつたため、原告において昭和五二年九月一五日を以つて同契約を解除すると共に、爾後同契約の対象であつたブルネイ会社の株式について、同契約上の価格よりも安い価格で直接間接に第三者に譲渡することを余儀なくされた(JK及びインド)、或いはDBVT(カリマンタンの子会社)の林区をインドネシア政府によつて取消された結果、原告の蒙つた損害額である。すなわち、JK及びインドの株式を第三者へ売却して得た金員の額(カリマンタンについては零)の合計金一九五万〇五七一・六一米ドル(金五億六三三二万五〇八一円)を、右金四〇〇米ドル(金一一億五五二〇万円)・から控除した金額である。

(2) 金四〇〇万米ドルに対する昭和四九年五月一日から解除時までの年六分の割合による損害金

金八一万米ドル

ここで請求する損害金は、民法第四一九条に基づく法定利率による遅延損害金ではなく、同法第四一六条第二項にいわゆる特別の事情によつて生じた損害である。原告は、被告の債務不履行により原告において実際に蒙つた損害の一部としてその賠償の請求をしているのである。すなわち、原告は、被告より支払日に株式の対価として受領すべき四〇〇万米ドルをもつて当時原告が他に負つていた借入金の返済に充てる予定であり、かつ、この間の事情は本件協定の相手方である被告においても十分に承知していた。しかし、それにもかかわらず被告において、右四〇〇万米ドルの支払いをしなかつたのである。

(3) ブルネイ会社の株式の残余の五〇パーセントの売却損

金二〇四万九四二八・三九米ドル(金五億九一八七万四九一九円)

右は、ブルネイ会社の株式のうち半分を被告に譲渡した後も、原告が保有することとされていた残余の五〇パーセントの株式にかかるものであり、(1)同様の事情で原告が蒙ることとなつた損害額である。

(4) 原告が本件契約等に関して負担した費用

交通費

金一三万九三八九・九九シンガポール・ドル(金一六四一万五九五九円)

コンサルタントヘの支払い

金三一万七五〇シンガポール・ドル(金三六五九万七〇二七円)

通信費

金二四八〇・二五シンガポール・ドル(金二九万二〇九九円)

小計 金四五万二六二〇・二四シンガポール・ドル(金五三三〇万五〇八五円)

(5) 原告が共同開発に関する協定に関して負担した費用

事務所ビル賃借料その他経費

金五万一六一五・八〇シンガポール・ドル(金六〇七万八七九二円)

インドネシア会社の林区の調査費用

金二六五万二三六二・二〇ルピア(金九二万八三二六円)

小計 五万一六一五・八シンガポール・ドル(金六〇七万八七九二円)及び金二六五万二三六二・二〇ルピア(金九二万八三二六円)の合計(金七〇〇万七一一八円)

(6) 原告の名誉、信用が毀損されたことに対する慰謝料金五〇〇万米ドル(一四億四四〇〇万円)

(7) 被告が共同事業契約を履行していた場合に原告が得べかりし利益

金一六〇〇万米ドル(四六億二〇八〇万円)

よつて、原告は被告に対し、債務不履行による損害賠償請求権に基づき、右(1)ないし(7)の合計金二五九〇万八八五六・七八米ドル(金七四億八二四七万七八三八円)、金五〇四万四二三六・〇四シンガポール・ドル(金五九三八万三八七八円)及び金二六五万二三六二・二〇ルピア(金九二万八三二六円)の損害賠償請求権のうち、右記載の順序により金一〇〇〇万米ドルに満つるまでの部分及びこれに対する訴状送達の翌日である昭和五四年八月二二日から支払ずみまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求める。

2  請求原因に対する認否

(1) 請求原因アの事実(当事者)中、原告がマレーシア国籍を有する実業家兼政治家で、インドネシアにおいて種々の会社を通じ林業に関与している事実及び(2)の事実は認めるが、その余の事実は知らない。

(2) 同イの事実(原被告間の契約締結)中、ガネカ、ブラジヤ及びDBVTのインドネシア法人三社がインドネシア政府から木材採取権を譲与されていた事実及び原被告が右三社の有する木材採取権を与えられた地域における林業の共同開発を目指して交渉を開始した事実は認め、その余の事実は否認する。

ブルネイ法人三社の株式について原被告間に売買契約が成立した事実はない。昭和四八年八月以降原被告間において、原告が株式所有を通じて間接的に権益を有するインドネシア林区の森林伐採事業につき、被告が原告の必要とする一定の資金援助をなし、その見返りとして右事業から木材の長期かつ安定的な供給を受けるという基本構想を具体化するための方策を種々論議したが、双方にとつて満足できる実行可能な成案が得られず、ついに原被告間の契約として結実するには至りなかつたというのが事の真相である。

原告が本件契約申込書として援用する甲第一号証は、昭和四九年一月東京で開かれた原告代理人訴外アンドリュー・ピイティらと被告従業員らとの交渉の際、アンドリュー・ピイティから将来被告が本件開発計画に正式に参画することとなつた場合被告が株式買取の点についてどう対応するのかについての被告の意向を書面にて持ち帰りたいとの要望があり、被告がこれに応じて交付したものであつて、原告主張のような意義を有する文書ではない。また、被告は、原告との間で木材採取権の共同開発に関する協定なるものを締結したことはなく、原告がその証拠として援用する甲第三号証は昭和四九年二月のシンガポールでの原被告間交渉の議事録にすぎない。

(3) 同ウの事実(被告の債務不履行)の事実中、被告が四〇〇万米ドルあるいは二〇〇万米ドルの支払をしなかつた事実は認めるが、その余の事実は知らない。

(4) 同エの事実(損害)は知らない。

二予備的請求

1  請求原因

(1) 原・被告はその間で本件合弁事業全体についての交渉を進めてきたところ、遅くとも昭和四九年一月二九日付甲第一号証及び同年二月六日付甲第二号証の交換された頃に至り、本件合弁事業全体についての全体的合意の第一段階である株式売買契約についての合意並びに共同開発に関する協定の原則及び締結の日取り等についての合意が成立した。さらに、この時点において、原・被告間では、すでに、将来の合弁事業の対象は勿論、それが、五〇対五〇の対等出費に基づくものであること、当該事業の所要資金の調達には被告があたること等が合意されていたのである。就中、甲第一号証第六項に「他の二社、すなわち、リンバン・ティンバー・カンパニー(ケイ・ビー)リミテッド及びバラゴン(シンガポール)リミテッドは、対象となつておりません。当社は、リンバン・グループが上記二社を処分し、又はこれに関心を有する者と交渉をなすことについて何ら異議のないことを確認いたします」とある部分は、当初交渉の対象となつていた五社のうち二社を除くことにより、逆に被告において、この二社を除く三社については、原・被告による合弁事業の対象であるが故にもはや原告の自由な処分には任せないのみか、第三者との交渉すら許さない旨原告を拘禁する趣旨を明確にしているのである。

交渉が右のような段階に至つたからには、原告が右交渉の結果に沿つた契約の成立を期待し、そのための準備を進めることは当然であつて、契約締結の準備がこのような段階にまで至つた場合には、原告は契約の締結に対し期待権、換言すれば「契約締結の利益」を有し、被告としても原告の当該利益を尊重し、その期待を侵害しないよう誠実に契約の成立に努めるべき信義則上の義務があるものというべきである。

しかるに被告は、原告において右の「契約締結の利益」が存することを十分知悉し、かてて加えて、本件契約の履行を度々確言しながら後に至つてあえてこれを無視し、何らの正当の理由なく原告の右「契約締結の利益」を侵害した。原告としては、前項に記載したように契約の交渉が大詰に至り、かつ、被告が本件契約の履行を度々確言した以上、被告が本件契約の締結に応じてくれることは確実と信じていたところ、被告は三年余りも交渉を引き延したあげく、最終的には原告との契約締結を拒否したものである。

(2) 被告の右不法行為により、原告は以下のとおりの損害を被つた。

(ア) ブルネイ会社の株式の五〇パーセントの売却損

主位的請求原因エの(1)と同様の事情により、金五億九一八七万四九一九円の損害を被つた。

(イ) ブルネイ会社の株式の残余の五〇パーセントの売却損

主位的請求原因エの(3)と同様の事情により、金五億九一八七万四九一九円の損害を被つた。

(ウ) 原告が本件契約等に関して負担した費用金五三三〇万五〇八五円

(エ) 原告が本件協定に関して負担した費用金七〇〇万七一一八円

(オ) 被告の不法行為により、原告は弁護士を通じて本訴を提起するの止むなきに至つたのであるから、原告は、弁護士報酬を含む弁護士費用として、少なくとも金五〇〇〇万円の損害を蒙つた。

(カ) 原告の名誉、信用が毀損されたことに対する慰謝料一四億四四〇〇万円

(キ) 被告が共同事業契約を履行していた場合に原告が得べかりし利益金四六億二〇八〇万円

よつて、原告は被告に対し、不法行為による損害賠償請求権に基づき、右金七三億五八八六万二〇四一円の損害賠償請求権のうち、右記載の順序により金二一億五〇〇〇万円に満つるまでの部分及びこれに対する被告が原告との契約締結を拒否することが確定的となつた昭和五一年九月八日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

2  請求原因に対する認否

(1) 請求原因(1)の事実(被告の不法行為)中、原被告が本件合弁事業全体についての交渉を進めてきたこと、原被告間で甲第一、第二号証が交換されたこと、以上の事実を認め、その余の事実は否認する。

本件のような大型融資案件においては、交渉にかなりの長時間を要するのが通例であつて、昭和四九年一月ないし二月の原被告間の交渉の実態は、プロジェクトの大綱ないし方針に関する話合いがなされていたものにすぎず、しかもインドネシア株主同意問題等基本的事項について対立を残しており、到底あとは契約書にサインするのみといつた段階にまで進展していなかつたのであるから、不法行為の成立すべきいわれはない。また、甲第一号証は、当初原告が交渉の対象とするよう要求した五社のうち二社が交渉の対象外となつたことを確認したにとどまり、それ以上に原告に対し何ら法的な義務や拘束を負わせるものではない。更に本件においては、被告の常務会の承認を得て最終的な契約書に調印することにより初めて契約を締結しうるという被告側の事情について、被告担当者から原告側に十分説明しており、他方被告側において、将来必ず契約が締結されるとの原告の誤解を誘発するような行為は一切していないものであるから、契約締結上の過失を問われるいわれもない。

(2) 同(2)の事実(損害)は知らない。

(不法行為についての被告の主張)

(1) 本件契約締結のための交渉に際して、被告は、当時一段と民族主義的傾向を強めつつあつたインドネシア外資政策のもとで被告の目的とする木材の長期安定供給を達成するため、本件契約締結についてのインドネシア政府及びインドネシア現地少数株主の承認とりつけを強く主張したのに対し、原告は、原被告いずれの利益にもならないからとしてこれに強く反対し、この点についての了解が得られず、また被告側の調査の結果インドネシア政府当局の了解なしに本件契約締結を実行することは問題が多いとの結論が得られたことから、本件契約は結局成約に至らずに終つたものである。

(2) 本件契約締結の交渉が右のような事情で頓挫した後、原被告間で原告の金融機関からの借入れにつき被告が保証をするという方法が検討されていたところ、原告が昭和四九年一〇月三〇日マレーシア官憲により公共治安維持規則違反容疑で逮捕され、昭和五〇年三月一〇日右拘束は解かれたが、同日再び内国治安維持法違反により逮捕され、昭和五一年一月三〇日拘禁が解かれた後も住居制限を受け、昭和五二年三月まで実質上身柄の拘束を受けるに至つた。被告にとつて原告の逮捕拘禁は重大な衝撃であつたので、被告は右事実を知ると同時に本件開発計画に関する一切の活動を中止し、その後原告の拘禁が何時解かれるかについての目安もないままに推移したので、昭和五一年三月被告従業員渡来が原告に会い、原告に対する資金面での協力が不可能となつたことを説明した。このように被告は、原告の逮捕に至るまで、計画を推進させるべく努めてきたものである。

(右主張に対する原告の認否)

全て否認する。

第三証拠<省略>

理由

一まず、本件に適用されるべき準拠法について検討する。

本件においてその成否が争われている契約は、マレーシア連邦国籍を有し同国に住所を有する原告と日本国法人たる被告とをその当事者とするものであるから、渉外的要素を有し、従つてその準拠法が問題となる。

1  本件契約(株式売買契約)

本件契約に適用されるべき法規について原・被告間で明示の合意による指定がなされたことを認めるに足りる証拠はなく、また後記二に認定する事情、即ち当事者の住所、営業の本拠地、契約の性質・対象等からみて、黙示の合意による指定がなされたものとも認め難い。従つて行為地法により準拠法を決すべきところ、本件においては、後記二において認定するとおり、原・被告間の本件契約締結交渉の過半は東京においてなされ、原告が本件契約の申込書であると主張する書面(甲第一号証)も東京において原告の代理人と被告の従業員との交渉の席で作成されたものであることから、本件契約締結についての行為地は日本国の東京にあるものと認めるのが相当である。よつて本件契約に適用されるべき法規は日本国法である。

2  本件協定(共同開発に関する協定)

本件協定の準拠法につき明示の指定が存しないことは1と同様であるところ、後記二に認定するところから、右協定は1記載の株式売買契約を補充しこれと密接不可分なものであることが認められるから、同協定には本件契約と同一の法規たる日本国法が適用されると解するのが当事者の意思に適合するものというべきである。

3  不法行為

原告が予備的請求原因として主張する不法行為についても、後記認定の原・被告間の交渉の過半が東京でなされている事実から、東京を原因事実発生地とみるのが相当である。よつて不法行為についても日本国法を適用するのが相当である。

二進んで、原・被告間での本件契約締結のための交渉の経緯について検討する。

原告がマレーシア国籍を有する実業家兼政治家で、インドネシアにおいて種々の会社を通じ林業に関与している事実、主位的請求原因アの(2)の事実(当事者)、ガネカ、ブラシヤ及びDBVTのインドネシア法人三社がインドネシア政府から木材採取権を譲与されていた事実、原・被告が右三社の有する木材採取権の与えられた地域における林業の共同開発を目指して交渉を開始した事実、被告が四〇〇万もしくは二〇〇万米ドルの支払をしなかつた事実、原・被告間で甲第一、第二号証が交換された事実、以上の事実はいずれも当事者間に争いがなく、右争いのない事実に、<証拠>を総合すると、原・被告間の交渉の経緯について以下の事実を認めることができる。

1原告は、マレーシア連邦国籍を有し、同国サラワク州クーチンに住所を有する政治家兼実業家であつて、昭和三八年から昭和四一年にかけてサラワク州副首相をつとめ、本件契約締結交渉当時はサラワク州議会議員として野党であるサラワク・ナショナル・パーティの党首の地位を占める一方、サラワク州リンバンやインドネシア共和国のいくつかの林区について有する木材採取権を利用して、木材伐採・取引事業を営んでいたものである。

被告は、日本国商法に基づいて設立された東京に本店を置く株式会社であつて、いわゆる総合商社として、木材の輸入・販売及びこれに関連する合弁事業の実施等をもその事業目的としているものである。

2昭和四五年ころ原告は、インドネシアにおけるいくつかの林区についての木材採取権を取得し、原告がほぼその全株式を所有するブルネイの持株会社が、インドネシア政府から右木材採取権を与えられているインドネシア法人の過半数の株式を所有するという形式でこれを保有していた。原告は、適切な相手方との合弁事業により、インドネシア所在の右林区の大規模な開発をなすことを企図していたところ、昭和四八年夏訴外周東渉及び劉剣秋を介して被告を紹介されるに至つた。一方被告は、南洋木材の長期安定供給源の確保という観点から原告との合弁事業に関心を持ち、昭和四八年八月二四日被告のホンコン支店において、原告と被告従業員との間の第一回目の会合が開かれるに至つた。右会合には、原告側から原告本人及びその依頼を受けたシンガポール在住の公認会計士である訴外アンドリュー・ピイティ(以下「ピイティ」という。)が、被告側から当時被告の木材部部長代理の地位にあつた訴外川原田道が出席し、席上原告がインドネシアにおける同人の木材伐採事業の拡大を図るためこれを被告との合弁事業とすることを望んでいる旨述べたところ、川原田は二ないし三か月かけてインドネシアの林区の調査をなしたうえ詳細な条件について交渉する用意がある旨述べ、これに対し原告は、川原田に対し、木材採取権を有するインドネシア法人五社の株持会社をパナマ法人として設立しこれに対して被告が資本金の半額にあたる一〇〇〇万マレーシア・ドルを出資するとの具体的提案をなし、同年九月三日までに被告の最終的決定を知らせるよう要望した。これに応じて当時被告木材部副部長の地位にあつた訴外河野圭一郎は、同年八月三一日付で原告がホンコンに設立する持株会社のパートナーとして投資することに原則的に同意する旨及び同年九月末までにインドネシアの林区の調査をしたい旨の書簡(乙第二号証)を原告宛送付した。

3その後、昭和四八年末までに東京で二回、シンガポールで二回合計四回の原・被告間の会合が開かれ、右合弁事業についての各種情報の提供及び意見の交換が行なわれた。右会合を通じて、合弁事業の対象及びインドネシア法人の少数株主の同意の要否という二つの点について原・被告間の意見の対立が明らかとなつてきた。即ち、第一の合弁事業の対象について原告は、インドネシア法人五社を一括して合弁事業の対象とすることを主張したのに対し、被告側は当初その一部のみを合弁の対象とすることを主張し、また第二の点について被告側は合弁事業契約締結前に被告の参加についてインドネシア少数株主の同意を得る必要がある旨主張したのに対し、原告はインドネシア少数株主の同意を得る必要はなく、仮に被告がそれを望むとしても被告の合弁事業参加後にすべきである旨主張していた。この間被告は、ピイティを通じて原告から、それまで種々の費用がかかつており、また本件とは別の林区の調査費用が必要なので、被告の誠意を見せるという意味からも一〇万米ドルを都合してほしい旨の申入れを受けたので、これに応じて昭和四八年一一月六日原告宛に一〇万米ドルを送金した。

4翌昭和四九年一月、原告の命を受けてピイティ及び原告の弟である訴外ウイリアム・ウォン・キム・キット(以下「ウィリアム・ウォン」という。)が合弁事業契約締結交渉のため来日し、同月一四日から約二週間にわたつて東京の被告本社において会合がもたれた。席上川原田が、原告の主張する五社の包括取引に応ずることは困難である旨、資金調達上の問題から投資すること自体も困難であるので貸付金という形にしてほしい旨及び原告に対する支払いをなすには被告会社の取締役会の承認が必要である旨を述べたところ、ピイティらは、あくまで五社の包括取引にしたい旨及び名目はともかく実質的に貸付金とすることには応じがたい旨回答した。その後双方が種々協議した結果、同月二三日ころ被告担当者及びピイティらは、インドネシアに木材採取権を有するインドネシア法人三社(ガネカ、ブラジヤ及びDBVT)それぞれの持株会社であるブルネイ法人三社(インド、JK及びカリマンタン)の五〇パーセントの株式を被告が代金四〇〇万米ドルで買受けること、右代金の支払期日を同年四月末日とすること、合弁事業についての基本契約を同年二月末までに締結すること、以上の点についての基本的な了解に達した。その後右了解条項を確認するためこれを文書化する作業が双方により行なわれ、その結果当時被告木材部長の訴外河野圭一郎から原告にあてた別紙記載のとおりの内容の同年一月二九日付の手紙(甲第一号証)が起草され、これに右河野が署名したうえで原告あてに送られた。これを受領した原告は、右書簡による申出を承諾する旨及びいかなる場合でもインドネシア少数株主の承諾を求めるべきではない旨を述べる同年二月六日付書簡(甲第二号証)を被告あて送付した。

5その後昭和四九年二月二一日から二七日にかけて被告木材部企画開発室課長の安井敬一、同部南洋材第一課課長代理の渡来順輔及び被告の子会社である三井物産南方林業開発の従業員滝沢勝がシンガポールに赴き、原告及びピイティと会談した。席上被告側から、ブルネイ法人三社の株式売買契約書案(甲第八二号証)及び同年一月の東京での会議において二月末までに締結することが合意された基本契約に相当する株主間契約書案(甲第六一号証の一)が原告側に示され、これをもとに双方の間で種々の検討及び討議がなされた結果、右各契約書の最終的な案文(甲第八四号証、第六一号証の三)が作成されるに至つた。右のうち株式売買契約書には目的物、代金額、履行期日(昭和四九年四月三〇日)、履行場所等の約定が存し、一方株主間契約書には資本金、持株比率、株主総会、取締役会、事前承諾事項、インドネシア法人の経営、被告の技術援助、被告の先買権、帳簿の閲覧権等についての約定が規定されている。そして双方は、会議終了後右各案文を法律的に検討するために持ち帰ることとなつたが、基本原則は変更しないものとする旨合意し、その旨の記載のある議事録(甲第三号証)に出席者全員が署名をなした。その際シンガポールの原告の事務所のあるビルの一室を合弁事業のために賃借することが合意され、これに基づき同年四月から原告はその費用負担のもとに右事務所一室を賃借した。

6しかしながらその後、原・被告間の交渉は進展せず、右各契約書案にも調印がなされないままに終わり、また昭和四九年四月三〇日になつても四〇〇万米ドルの支払はなされなかつた。この間被告は、原告に対し、昭和四九年四月二五日付で被告の担当者をジャカルタに派遣してインドネシア政府の日本企業の投資に対する政策について実情を調査したところ、原告との合弁についてインドネシア政府の承認及びインドネシアのパートナーの同意をとりつけることが必要となることもありうるとの報告を受けた旨の電信を発し、これに対して原告は同月二七日付で、被告に対し、インドネシアとの交渉は二月のシンガポールでの会議で合意されたとおりブルネイ法人の株式譲渡完了後に行なうべきである旨、及び被告が予定どおり履行すべき旨を返信した。その後の同年五月、被告木材部の川原田及び安井がシンガポールに原告を尋ねて会談した。その際川原田らは、ブルネイ法人三社の五〇パーセントの株式を被告が買い取るという形での合弁事業は非常に困難な情勢になつてきた旨原告に対し説明した。それを承けて川原田らと原告との間で、被告から原告への資金の貸し付けという形での木材の共同開発の構想が生まれ、その実現の可能性について検討していくこととなつた。

7昭和四九年七月上旬、原告及びピイティが東京に来て、被告側に株式買取り及び共同開発を実行するよう要求した。これに応じて原・被告間で交渉が行なわれた結果、原告に対し四〇〇万米ドルが、昭和四九年九月一五日二〇〇万米ドル、同年一二月末日二〇〇万米ドルの二回に分けて支払われること、右支払は貸付の形式で行なわれること、以上の点について双方の間で了解が成立したので、これが書面化され(甲第四号証)、これに被告木材部部長河野圭一郎が署名して原告に交付された。その際あわせて、原告の要求により、右書面(甲第四号証)にいう貸付は被告の便宜のためのものであり、四〇〇万米ドルは実際にはブルネイ法人に対する投資として支払われるものであること、右貸付金に対する返済はブルネイ法人の利益の五〇パーセントの支払いによりなされるものであること、以上の内容の書面(甲第五号証)が作成され、これにも右河野が署名したうえで原告に交付された。これより先、被告は、本件交渉の対象となつているインドネシア法人のガネカとの間で木材の購入契約を締結し、以後継続して少くとも一年間にわたり同社から木材を購入していた。

8昭和四九年八月川原田ら被告木材部の担当者が、シンガポール開発銀行に赴き、被告の保証のもとにブルネイ法人に四〇〇万米ドルを貸し付けることの可否について打診したところ、同銀行から原則として差し支えないとの回答を得るに至つた。これに応じて被告木材部は、ブルネイ法人のインド及びJKがシンガポール開発銀行から合計二〇〇万米ドルの借入れをなすにつき被告が保証をするという案件について被告取締役会に上程し、同年九月一七日その承認を得た。ところがその後シンガポール開発銀行からブルネイ法人(インド及びJK)の貸付けは実行されず、最終的にブルネイ法人への直接融資は拒否されるに至つた。そこで更に被告が、シンガポール開発銀行に対し、三井銀行シンガポール支店を通じての間接融資の可否について打診したところ、差し支えないとの回答を得たので、被告は右間接融資の交渉を開始した。そうするうちに、同年一〇月三〇日原告が公共治安維持規則に基づきマレーシア官憲により逮捕され、マレーシア連邦ペラク州所在のタイピン拘禁所に拘禁されるという事態が発生したので、被告は右交渉を中断するに至つた。その後同年一一月一五日ピイティらが来日し被告担当者らと会談した。その結果双方は、被告が銀行との交渉をあきらめたわけではなく、状況が好転した時にこれを再開する旨の了解に達した。なお、前記昭和四九年七月一二日付書簡(甲第四号証)に記載された九月一五日及び一二月三一日には、いずれも原告に対する金員の支払はなされていない。

9これより先昭和四九年一〇月七日シンガポールにおいて、被告側担当者の渡来及び滝沢並びにガネカの役員であるビンセント・ウォン・スハルト、ウイリアム・ウォン及びムスタファ・アニスが参加して会合が開かれ、右会合の出席者によりガネカの保有する株(ママ)区の開発及び工業化に関する「リンガー三井合同委員会」を設置すること、右委員会により指名されたガネカと被告の合同調査団がガネカの保有する林区における木材加工産業開始のための技術上経済上の可能性について調査を行なうこと、がそれぞれ合意された。右合意に基づいて被告側の人間を含む合同調査団が結成され、昭和五〇年一月から二月にかけてインドネシアの林区の調査を行ない調査報告書が作成されたが、これを検討するためのリンガー三井合同委員会は開かれないままに終つた。

10昭和五〇年二月川原田が拘禁中の原告を拘禁所に尋ね、とにかく交渉はしている旨及び早く自由の身になつてほしい旨を原告に述べた。同年三月一〇日原告は裁判所の発した人身保護令状により釈放されたが、同日内国治安維持法に基づきマレーシア連邦サラワク州リンバンをブルネイに併合するため外国勢力援助を受けることに同意したとの拘禁理由により再び逮捕され、タイビン拘禁所に拘禁されるに至つた。

11昭和五〇年七月原告の長男である訴外リチャード・ウォンとピイティが来日し、被告側と会議を開いた結果、被告は、原告が釈放され次第、昭和四九年七月一二日付書簡(甲第四号証)に記載されている四〇〇万米ドルの支払のための銀行との交渉を再開すること、そのうち二五万米ドルの前渡金を直ちに支払うことができるよう最善の努力をすること、以上の点がそれぞれ了解され、これが書面化された(乙第一四号証)。その際あわせてピイティが、銀行等に示すためにより簡潔な書簡を要求したので、被告はこれに応じて昭和四九年七月一二日書簡に記載された約定を履行することを確認する旨の書簡に被告の河野木材部長が署名したもの(甲第二一号証)をピイティらに交付した。

12昭和五一年一月三一日原告は旅行を制限されるという条件付でマレーシア連邦サラワク州リンバンの自宅に帰ることを許されて拘禁を解かれ、右住居制限は昭和五二年三月に失効し、原告は完全に自由の身となつた。昭和五一年三月被告担当者の渡来は住居制限中の原告をリンバンに尋ね、銀行が融資してくれず、また当時の経済情勢から南洋材を多く扱えるような状勢にないことから、原告の拘禁前まで進められていた融資保証の案件は実行出来なくなつたこと、被告としては原告がそれまでに支出した経費を負担する趣旨で原告に対し少くとも二〇万米ドルの金銭を支払う用意があるのでそれにより原告と和解したいこと、を述べた。これに対し原告は、被告がその契約上の義務を履行しなければならないと述べて、被告側の右申出を拒絶した。この間昭和五〇年末から昭和五一年前半にかけて、原告もしくはピイティは、被告に対し、何度か履行を催促する電信を発した。

13昭和五一年四月末ころピイティ及びリチャード・ウォンが来日し、被告側担当者と会談した。その結果、被告側において三〇日後までに原・被告間の合意の詳細について検討したうえ、履行または賠償について確答することとなつた。これをうけて、同年五月末再びピイティらが来日して被告側と会つた際、被告側担当者は、ピイティらに対し、被告は原告に対して何らの法的な義務も負つていない旨回答した。

以上の事実が認められ、これに反する証拠はない。

三右認定の事実に基づき、まず主位的請求の当否について検討する。

1本件契約について

原告は、被告木材部長河野から原告にあてた別紙書簡(甲第一号証)が、被告の原告に対するブルネイ法人三社(インド、JK及びカリマンタン)の五〇パーセントの株式の購入の申込書であり、これを承諾した旨の原告の書簡(甲第二号証)により右株式の売買契約が成立した旨主張する。

なるほど、甲第一号証特にその前文及び第一、二項を一見すると株式売買契約の申込書といつてもおかしくない文面となつており、これは原告の右主張に副うものということができる。

しかしながら、原告の右主張には、以下のとおりの根本的疑問が存する。まず第一には、被告木材部長河野圭一郎名義の書簡である甲第一号証をもつて被告の申込書とみなしうるかという点である。河野圭一郎が被告の代表取締役であつたとか、本件契約の申込をなすにつきその個別的授権を受けていたとの点については何ら主張立証がなされていない。原告の「被告木材部長河野圭一郎名義」との主張は、番頭・手代の代理権を援用する趣旨であるのかもしれない。しかしながら、個別の木材の買付ないし販売契約についてなら格別、ブルネイ法人三社の株式の五〇パーセントを代金四〇〇万米ドルで購入してこれに資本参加し、原告との合弁事業により木材採取権を共同開発するという原告の主張する如き契約の締結権限が被告会社において木材部長に与えられていたかどうかは疑わしい。現に、証人近藤正弘の証言によれば、昭和四八年一〇月原告は訴外伊藤忠商事株式会社との間で、原告がその支配下にある法人を通じてマレーシア連邦サラワク州リンバンに保有する林区の開発に関し、右伊藤忠商事が右法人に資本参加するという本件に類似した形態での合弁事業契約を締結していること、右契約の際は正式の合弁事業契約書が作成され、これに右伊藤忠商事の代表取締役が署名していること、以上の事実が認められるのであつて、以上の事実は右疑いを増加させるものということができる。従つて、仮に甲第一号証を本件契約の申込書とみなしても、これを被告の申込とみなしうるか、即ち右申込の効果が被告に帰属するものであるかについては相当の疑問の余地が存するものといわなければならない。第二には、原告がそれぞれ申込書・承諾書と主張する甲第一、第二号証の交換の後である昭和四九年二月のシンガポールでの会議において、売買契約書案と思われる書類(甲第八四号証)が、合弁事業契約書あるいは株主間契約書の案文とともに作成され、最終的に調印されないままに終つているという点である。しかも前記甲第八四号証によれば、右株式売買契約書案は「契約書」と題され、その中には原告が被告にブルネイ法人三社の株式の五〇パーセントを譲渡し、被告はこれに対し代金を支払う(金額欄は空白)との条項が存する事実を認めることができるのである。もしも甲第一、二号での交換により本件契約は成立ずみであり、右契約書(甲第八四号証)が付随的事項についての追加的契約書にすぎないものとするならば、右契約書中の右条項の存在について合理的説明を加えることは困難である。第三に、本件株式売買の話は、原告自身その本人尋問において自認した如く、ブルネイ法人の株式の交換価値に着目して進められたものではなく、原被告間の合弁事業によるインドネシアにおける木材採取権の共同開発の手段として選択されたものであることが、前記二に認定したところから優に推認されるのである。そうすると、右株式売買契約と合弁事業契約は、同時にあるいは少なくとも双方の契約の内容が実質的に確定した時点で締結されるのが通常の過程であると考えられる。従つて、合弁事業契約の内容について実質的にも何らの合意もなされていない昭和四九年一月の時点で(前記甲第五四ないし第五七号証、同甲第六一号証の一ないし四によりこれを認める)、右合弁事業契約に先立つて、一片の書簡の交換のみで株式売買契約が締結されたとするのは、原被告間において右株式売買契約締結を特に急がねばならないとする等特段の事情があるとは認め難い本件においては、極めて不自然なものといわざるをえないのである。甲第一号証及び甲第二号証が株式売買契約者である旨主張する原告側は、右疑問点について十分説得的な説明を示していないものといわざるをえないのであつて、むしろ以上の点からみると、甲第一号証は、本件株式売買契約締結交渉の過程において、双方のそれまでの了解事項を書面化して確認したにとどまるものと解するのが相当である。以上を要するに、甲第一号証によつて、被告から原告に対する本件株式売買契約の申込の意思表示がなされたものとはにわかに認めがたいものといわなければならない。従つて、これに対する承諾の書簡(甲第二号証)により株式売買契約が成立したとする原告の主張も理由がないものといわなければならない。

2本件協定について

原告は、昭和四九年二月のシンガポールでの会議において、これに出席した安井らとの間でインドネシア木材採取権の共同開発に関する協定を口頭で締結し、文書(甲第三号証)によりこれを確認した旨主張する。しかしながら、右協定が結ばれたとされる昭和四九年二月のシンガポールでの会議に被告側から出席したのは、前記認定のとおり、被告木材部企画開発室課長の安井敬一、南洋材第一課課長代理の渡来順輔及び被告子会社従業員の滝沢勝であつて、これらの者が原・被告の合弁事業契約の一部をなす本件協定の締結権限を与えられていたものと認むべき証拠はない。また口頭で成立したとされる本件協定の内容は不明確であつて、もしもそれがシンガポール会議の議事録(甲第三号証)に記載されている事項を指すものとすると、その文面から議事録であることが明白な甲第三号証に記載されている程度のものをもつて共同開発に関する協定と呼びうるかどうか、ひいては別紙甲第一号証第4項に記載されている基本契約に相当するものといいうるか疑問であり(もし基本契約に相当しないとすると原・被告の合弁事業の内容は株式売買契約のみということになつてしまう。)、逆にもしもそれが右シンガポール会議で作成され結局署名されないままに終つた株主間契約書案(甲第六一号証の三)を指すものとすると、原告の主張は署名されなかつた契約書と同一内容の契約が口頭で成立していたということになるのであつて、極めて不自然かつ疑わしいものといわざるをえない。基本原則は変更しないとの議事録末尾の記載も右判断を覆すに足りない。

結局のところ、口頭による本件協定の成立をいう原告の主張は理由のないものといわざるをえない。

3まとめ

以上のとおり、原告が成立した旨主張する本件契約及び本件協定のいずれもその成立を認めるに足りないものといわざるをえない。従つてこれが成立していることを前提とする前(ママ)告の主位的請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がないものというべきである。

四次いで、予備的請求の点について判断する。

1原告の予備的請求の要旨は、契約締結交渉が本件における如く大詰に至り、原告が契約の成立についての期待権即ち契約締結の利益を有するに至つた場合には、被告としてはこれを侵害しないよう誠実に契約の成立に努めるべき信義則上の注意義務を負つているのにもかかわらず、これを怠り、本件契約の履行を度々確言しながら後に至つてあえてこれを無視し、原告の右利益を侵害したというものである。

2よつて検討するのに、前記認定のとおり、

被告は、原告との木材採取権共同開発に関する合弁事業のため、原告が所有するブルネイ法人の株式の五〇パーセントを同人から譲り受けるについて、原告及びその代理人との間で交渉を進め、昭和四九年一月目的物、代金額、支払時期・場所等株式売買契約の基本的事項について相互の了解に達し、これを書面化したもの(甲第一号証)を原告に送付し、これを承けて同年二月には原・被告間で株式売買契約書及び株主間契約書の案文が作成され、法律的に検討・修正されたうえで履行期日である同年四月末日までに署名されるばかりの状態となつた。以上の如き事情の認められる本件において、原告としては、右交渉の結果に沿つた契約の成立を期待し、そのための準備を進めることは当然であり、契約締結の準備がこのような段階にまで至つた場合には、河野ら被告木材部担当者としても原告の期待を侵害しないよう誠実に契約の成立に努めるべき信義則上の義務があると解するのが相当であり、被告がその責に帰すべき事由によつて原告との契約の締結を拒絶した場合には特段の事情のない限り、これにより原告に対する違法行為が成立するものというべきである。

3然るところ、前記甲第一号証(第3項)によれば、河野は原告宛書簡(甲第一号証)において被告が本件株式売買契約の代金四〇〇万米ドルを履行期である昭和四九年四月末日に支払うためにはその取締役会の承認を待つ必要がある旨明示的に述べていることが認められ(原告は、右第三項中の取締役会の承認は支払時期のみに関するものであり四〇〇万米ドル支払の点についてはすでに承認ずみであつた旨主張し、証人アンドリュー・ピイティの供述(第一回)はこれに副うのであるが、証人川原田道(第一、二回)及び同安井敬一の各証言並びに前記甲第五五号証の記載からそのような事前の取締役会の承認がなされていたものとは認め難く、右供述はにわかに措信し難い。そうすると、甲第一号証第3項を原告主張の如く解することは、不自然というべきである。)しかも証人川原田道(第一回)及び同安井敬一の各証言によれば、被告の社内手続において了解を得ることができず、右取締役会の承認は得られなかつた事実が認められる(証人アンドリュー・ピイティ(第一回)の昭和四九年四月三〇日以前被告側の人間の誰かから電話で本件株式売買契約についての取締役会の承認がなされたと聞いた旨の供述は、それ自体極めてあいまいなものであり、また右各証言に照らすと信用することができない。)。ところで、被告は、本件株式売買契約が成約に至らなかつたのは、インドネシア少数株主同意問題について原・被告間に了解が得られなかつた故である旨主張する。しかしながら、右主張は、前記甲第八四号証(株式売買契約書)の第一三条a項の規定(原告は株式売買完了後、被告とインドネシア側当事者との会議を手配する旨の約定)及び、被告において当時インドネシア少数株主との接触を試みた形跡が全く窺われないことからみて、にわかに措信し難く、他に何故に本件売買契約が成約に至らなかつたのか、その合理的理由を詳かにすることはできない。その後前示のとおり川原田及び安井が昭和四九年五月シンガポールにおいて原告に対し、株式買取方式による合弁事業が非常に困難な状態になつてきた旨告げたところ、原・被告間で原告に対する貸付金の構想が生まれ、同年七月の東京での会議において同年九月及び一二月に各二〇〇万米ドルが原告に対し貸付金として支払われる旨の河野名義の書簡が原告に送付されるに至つた。そして川原田らは、融資元の銀行との接触を開始し、同年九月には被告が原告の借入について保証するという案件について被告取締役会も承認を与え、これを承けて被告も銀行との交渉を進めていた矢先に原告がマレーシア官憲により逮捕・拘禁されるに至つた。右逮捕後被告は、銀行との交渉は中断したが、原告逮捕前に合意されていたガネカの合同調査団に対しては、ウイリアム・ウォンらの要請に応じ(成立に争いのない甲第八八号証によりこれを認める。)人員の派遣に応じている。以上の事実によれば、被告は、原告が逮捕されるまでの間株式買取交渉、次いでそれが実現困難になつた後の融資保証の交渉について、それぞれ相応の努力をしてその実現に努めていることが窺われるのであるが、本件売買契約が成約に至らなかつた合理的理由を詳かにできない以上他に特段の事情の認められない本件においては、被告には原告の期待を侵害しないよう誠実に契約の成立に努めるべき信義則上の義務違反があつたものといわざるをえない。しかしながら、その後原告がマレーシア官憲に逮捕され、引続き一年三か月間にわたり拘禁されるに及び被告が原告との合弁事業を拒絶するに至つたのは、本件契約及び協定の性質、内容等からみてやむをえない事由に基づくものといわざるをえない。原告は、同人の逮捕拘禁は政治的なもので原告は政治犯であつたものであり、しかも原告の拘禁中本件合弁事業を進めるのには何の支障もなかつた旨主張する。しかしながら、原告は、本件契約及び協定の一方当事者であるのみならず、被告参加後もブルネイ法人の取締役会の議長を勤めるなど、合弁事業の中心的人物となることが予定されていたことが窺われるのであつて(前記甲第三号証によりこれを認める。)、このような人物が、理由はともあれ官憲により逮捕され長期にわたり拘禁されるということは、合弁事業の成否に不安を懐かしめるに十分というべきであるから、これにより被告の右拒絶を非難することはできないものというべきである。そうすると、被告が昭和四九年四月以降昭和五一年三月までの間、原告の期待を侵害しないよう誠実に契約の成立に努めるべき信義則上の注意義務があるのにこれを怠つたのは、違法であつて、原告がこれにより蒙つた損害を賠償すべき義務があるものといわなければならない。

4そこで損害額について検討する。

<証拠>によれば、原告は合弁事業のために昭和四九年四月から昭和五二年九月まで事務所としてインターナショナルビルディングE九号室及びH八号室を借入れ、その賃借料その他の経費を支出したが右のうち昭和四九年四月から昭和五一年三月までの部分に当る合計金二万八三三二・一五シンガポール・ドル(内訳E九号室の賃借料三五八四シンガポール・ドル、H八号室の賃借料一万八七二〇シンガポール・ドル、その他の経費のうち証拠資料のあるもの六〇二八・一五シンガポール・ドル。成立に争いのない甲第一二五号証及び弁論の全趣旨によれば昭和五一年九月当時の交換率は一シンガポール・ドルが一七七・七七円であることが認められるから、金五〇三万六六〇六円となる。)林区の調査費用として昭和五〇年一月から二月にかけて支出した金二六五万二三六二・二〇ルピア(弁論の全趣旨によれば昭和五一年九月当時の交換率は一ルピアが〇・三五円であることが認められるから、金九二万八三二六円となる。)、以上合計金五九六万四九三二円の損害を蒙つたことが認められ、右は本件契約及び協定が成立すると信じたことにより、蒙つた損害であるというべく、原告が弁護士に本件訴訟の追行を委任していることは記録上明らかであつて、本件事案の内容を考慮すれば弁護士費用はその約一割に当る金六〇万円が相当である。そうすると、原告の蒙つた損害額は合計金六五六万四九三二円となる。原告はブルネイ会社の株式五〇パーセントの売却損、右会社の残余の株式五〇パーセントの売却損、原告が本件契約等に関して負担した費用、慰謝料及び共同事業契約を履行していた場合の得べかりし利益をも損害と主張しているが、右は原告が本件契約及び協定が締結されると信じたことによる損害とはいい難く、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

5以上によれば、原告の予備的請求は金六五六万四九三二円及びこれに対する被告が原告との契約締結を拒否することが確定的となつた昭和五一年九月八日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるが、その余は理由がないものというべきである。

五結論

以上の次第で、原告の本訴請求のうち、主位的請求は理由がないから棄却し、予備的請求は前記の限度で理由があるから認容し、その余は理由がないから棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条を、仮執行宜言につき同法第一九六条を各適用して主文のとおり判決する。

(村重慶一 木下徹信 藤下 健)

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